なぜ私はビットコインを手放さないのか

ビットコイン・投資

ビットコインについて語られるとき、多くの場合は価格の話が中心になります。
どこまで上がるのか、いつ下がるのか、今は買い時なのか売り時なのか。
投資対象である以上、それはある意味で自然なことなのかもしれません。

でも、私がビットコインを手放さない理由は、そうした短期の値動きだけではありません。

むしろ何年も見続ける中で感じてきたのは、ビットコインは単なる投資商品として片づけられるものではない、ということでした。
価格の上下の向こう側にあるものを考えるほど、簡単に手放せる存在ではなくなっていったのです。

今回は、私がなぜビットコインを手放さないのかを書いてみたいと思います。

手放さない理由は値上がり期待だけではない

ビットコインを持ち続ける理由として、価格上昇への期待を挙げる人は多いと思います。
もちろん、それ自体を否定するつもりはありません。
希少性があり、世界的に認知が広がっていく中で、長期的な上昇を期待する考え方には一定の合理性があります。

ただ、私にとってそれは理由のすべてではありません。

上がるから持つ、下がりそうだから手放す。
そういう単純な話だけであれば、ここまで強く持ち続けようとは思わなかったはずです。

私がビットコインを手放さないのは、その値動きの背後にある構造や思想のようなものに、より大きな意味を感じているからです。

ビットコインに行きついた理由そのものについては、前回の記事 [なぜ私はビットコインに行きついたのか] に書きました。
この文章は、その先にある「なぜ今も持ち続けているのか」という問いへの続きでもあります。

短期の値動きだけで判断したくない

ビットコインは価格変動の大きい資産です。
そのため、短い時間軸で見れば、不安になったり迷ったりする場面も少なくありません。

でも、私はできるだけ短期の値動きだけで判断したくないと思っています。

相場は、その時々の空気や思惑で大きく揺れます。
熱狂もあれば、恐怖もある。
強気一辺倒の空気が、数か月後には一転して悲観に変わることもあります。

そうした揺れに一つひとつ反応していると、本来何を見ていたのかが分からなくなってしまいます。

もちろん現実の価格を無視するわけではありません。
ただ、目先の変動だけで手放す判断をしてしまうと、自分がビットコインに惹かれた本質まで見失ってしまう気がするのです。

ビットコインの希少性に意味を感じている

ビットコインには、発行量に上限があります。
この単純で厳格な仕組みに、私は大きな意味を感じています。

世の中には、必要に応じて増やされていくお金があります。
それ自体に役割があることも理解しています。
ただ、その柔軟さはときに価値の輪郭を曖昧にし、人々の感覚を鈍らせることもあるように思えます。

その点で、ビットコインの「限りがある」という性質はとても象徴的です。
無限ではないからこそ、そこに重みが生まれる。
簡単には増やせないからこそ、信頼の土台になり得る。

私はこの希少性を、単なる値上がり要因としてではなく、価値を考えるうえでの根本的な特徴として見ています。

手放さないのは信頼の問題でもある

結局のところ、資産の価値は何によって支えられているのか。
その問いに向き合ったとき、私は「何を信頼するのか」という問題に行き着きます。

誰かが管理しているもの。
誰かの判断でルールが変わり得るもの。
便利で使いやすい一方で、その前提が揺らぐ可能性を常に持っているもの。

そうした仕組みの中で生きているからこそ、逆にビットコインのような存在が持つ意味が際立って見えてきます。

完全だから信頼するのではありません。
むしろ不便さも未成熟さも抱えながら、それでもルールそのものへの信頼を積み重ねてきた。
そこに私は独特の強さを感じています。

社会が変わるほど必要性は増すかもしれない

私は、ビットコインをただ孤立した資産として見ているわけではありません。
むしろ社会全体の流れと重ねて見ています。

世界情勢の不安定さ、通貨への不信、インフレ、金融システムへの違和感。
そうしたものが積み重なるほど、人は「価値をどこに置くのか」を改めて考えざるを得なくなります。

そのとき、ビットコインのような存在は、単なる投機対象ではなく、選択肢の一つとしての重みを増していくかもしれません。

未来を断定するつもりはありません。
ただ少なくとも、時代が不安定になるほど、この存在が問いかけているものの重要性は増していくように思っています。

私にとってビットコインは観測の軸でもある

今の私にとって、ビットコインは資産であると同時に、時代を観測するための軸でもあります。

人々が何を信じるのか。
国家や企業がどう向き合うのか。
不安や希望がどこに集まるのか。
そうしたものを映し出す鏡のような存在にも見えています。

だから私は、ビットコインをただ保有しているというより、それを通して時代の構造や人間の心理を見ているのかもしれません。

そうした視点については、[私はビットコインで何を観測しているのか] にもまとめました。
単なる保有の話ではなく、ビットコインを通して何を見ているのかを言葉にした記事です。

そして、その観測はまだ終わっていません。
むしろここから先の方が、本当の意味で面白くなっていくのではないかと感じています。

手放さないのは執着ではなく、自分なりの結論

ビットコインを持ち続けるというと、意地になっているように見えることもあるかもしれません。
あるいは、強い信念のように受け取られることもあるかもしれません。

確かに私は、その存在意義や価値に強く惹かれています。
でも、私自身の感覚としては、それは単なる思い入れだけではありません。

これは感情的な執着というより、見続け、考え続けた末に今の自分が出している結論に近いものです。

もちろん将来、どんな変化が起きるかは分かりません。
絶対という言葉を使うつもりもありません。
それでも現時点では、簡単に手放す理由が見当たらない。
だから私は持ち続けています。

まとめ

私がビットコインを手放さないのは、単に価格上昇を期待しているからではありません。

短期の値動きだけでは測れない構造があり、希少性があり、信頼の問題があり、社会の変化と重ねて見える意味がある。
そうしたものを考え続けた結果として、今の私には、簡単に手放すという選択がしっくりこないのです。

ビットコインは、私にとって資産であると同時に、価値とは何か、信頼とは何か、時代はどこへ向かうのかを観測するための軸でもあります。

だからこそ私は、今もなおビットコインを手放さないのだと思っています。

このブログを始めた理由については、最初の記事 [なぜ「光の観測航路ログ」を始めたのか|このブログで書きたいこと] に書きました。
また、ビットコインに行きつくまでの過程については、前回の記事 [なぜ私はビットコインに行きついたのか] に書いています。
足元の相場との関係まで含めて考えたい方は、[日経は上がるのに、なぜビットコインは重いのか──8万ドルが遠い理由を考える] もあわせてご覧ください。

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