なぜ私はビットコインに行きついたのか

ビットコイン・投資

なぜ私はビットコインに行きついたのか

投資の世界には、実にさまざまな選択肢があります。
株や投資信託、先物、オプション、不動産、債券、金など、その対象は幅広く、人によって向き不向きも違えば、何を重視するかも違います。

だから最初から、ビットコインこそが答えだと思っていたわけではありません。
むしろ私自身、ここにたどり着くまでにはそれなりの時間がかかりました。

いろいろなものを見ながら考え続けた末に、最終的に自分の中で強く残ったのがビットコインでした。
今回は、私がなぜビットコインに行きついたのかを書いてみたいと思います。

最初からビットコインを理解していたわけではない

今でこそビットコインに強い関心を持っていますが、最初からその価値を深く理解していたわけではありません。

最初に名前を聞いたときは、多くの人と同じように「よく分からないもの」という印象がありました。
価格の上下が激しく、ニュースでは投機的な話題ばかりが目立つ。
正直に言えば、最初は少し距離を置いて見ていたと思います。

でも、だからこそ逆に気になる存在でもありました。
ここまで強く否定され、同時に強く熱狂されるものは、そう多くはありません。
何か表面的には見えていない本質があるのではないか。そんな感覚が少しずつ芽生えていきました。

いろいろな投資を見てきた中で感じたこと

私は投資の世界を、ただ流行として眺めてきたわけではありません。
実際にいろいろなものを見て、考え、経験しながら、自分なりに「価値とは何か」を探ってきました。

世の中には便利な金融商品もたくさんあります。
制度として優れたものもありますし、長期で積み上げるという考え方自体もとても大切だと思います。

ただその一方で、どこか引っかかるものもありました。

仕組みが複雑すぎて本質が見えにくいもの。
誰かの判断や都合によってルールが変わりやすいもの。
表面的には安心に見えても、その土台にあるものが実はかなり脆いのではないかと思えるもの。

そうした違和感を抱きながら見ていくうちに、私の関心は「どの商品が有利か」よりも、「そもそも価値とは何によって支えられているのか」という問いに向かっていきました。

ビットコインに惹かれた本当の理由

ビットコインに惹かれた理由は、単に値上がりが期待できるからではありません。

もちろん価格の上昇は人の目を引きますし、それをきっかけに興味を持つ人も多いと思います。
でも私にとって本質的だったのは、もっと別のところにありました。

ビットコインには、中央で管理する存在がいません。
誰か一人の判断で発行量を増やしたり、勝手に仕組みを変えたりしにくい構造があります。
そのシンプルさと厳しさに、私は強く惹かれました。

便利さだけを求めれば、もっと扱いやすい仕組みはいくらでもあります。
でもビットコインには、便利さよりも先に「原理」がある。
その姿が、むしろ信頼に値するように感じられたのです。

それは、単なる金融商品というより、価値とは何かを問い直す存在のように思えました。

ビットコインに行きついた理由は、単に上がりそうだからというものではありません。
そして、その延長線上には「では、なぜ今も手放さないのか」という問いがあります。
この点は、[なぜ私はビットコインを手放さないのか] で改めて書いています。

価格ではなく構造を見たいと思った

多くの人は、ビットコインを価格で見ます。
上がった、下がった、今が買い時かどうか。
もちろんそれも現実の一部ですし、無視できるものではありません。

ただ、私が本当に惹かれたのはそこではありませんでした。

なぜこれほどまでに世界中で議論されるのか。
なぜ国家や企業や個人が、それぞれの立場で無視できなくなっているのか。
なぜ強く批判されながらも、消えずに残り続けているのか。

そう考えたとき、見るべきなのは短期の価格ではなく、その背後にある構造だと思うようになりました。

ビットコインは、お金そのものというより、「価値をどう保存し、どう信頼するか」という問題をむき出しの形で私たちに突きつけています。
そこに私は、単なる投資対象以上の意味を感じました。

社会の流れと重ねて見えるものがあった

ビットコインに関心を持つようになると、自然と社会全体の流れも違って見えるようになってきます。

金融政策、通貨の価値、国家の信用、インフレ、不安定になる世界情勢。
そうしたものが、ニュースの断片ではなく、一つの大きな流れとして見えてくるのです。

これまで当たり前だと思っていた仕組みも、永遠に続くとは限りません。
むしろ、時代が変われば前提そのものが変わることもあります。

ビットコインは、その変化を象徴する存在の一つなのかもしれません。
何かを壊すためというより、私たちが当然だと思い込んでいた価値の土台を静かに問い直している。
そんなふうに見えるようになりました。

私にとってビットコインは、値動きを追うだけの対象ではなく、世界の構造や人間の心理を映すものでもあります。
そうした視点については、[私はビットコインで何を観測しているのか] にまとめました。

自分の中で少しずつ確信に変わっていった

ビットコインは、一度見ただけですべてを理解できるような存在ではないと思っています。
私自身も、最初から確信していたわけではありません。

でも、調べ、考え、見続けるうちに、少しずつ自分の中で重みが増していきました。

派手な宣伝があるからではない。
誰かに勧められたからでもない。
むしろ賛否が激しく、分かりやすい安心感は乏しいからこそ、自分で考えるしかなかったのだと思います。

その過程を経てなお残ったものが、私にとってのビットコインでした。
だからこれは、一時の流行に乗ったという話ではなく、自分なりに考え続けた末の到達点なのです。

ビットコインは私にとって観測の対象でもある

今の私にとって、ビットコインは単なる投資対象ではありません。

もちろん資産という側面はあります。
でもそれだけではなく、社会の構造や人間の心理、価値観の変化を観測するための対象でもあります。

人は何を信用するのか。
不安な時代に何へ向かうのか。
自由と管理のあいだで、どんな選択をしようとするのか。

ビットコインを見ていると、そうした問いが次々に浮かんできます。
だから私は、価格だけで判断して終わるのではなく、その背後にあるものを見続けたいと思っています。

また、ビットコインという仕組みの背景にある「マイニング」という発想そのものも、人間の本能や価値観と深くつながっているように思います。
この点は、[ビットコインはなぜマイニングと呼ばれるのか] でも触れています。

まとめ

私がビットコインに行きついたのは、単に儲かりそうだったからではありません。

いろいろな投資や社会の仕組みを見ていく中で、価値とは何か、何を信頼できるのかを考え続けた結果、ビットコインという存在が自分の中に強く残ったのです。

それは便利だからでも、流行っているからでもなく、むしろ不完全で、厳しく、簡単には扱えないものだからこそ見えてきた本質でした。

私にとってビットコインは、資産であると同時に、時代の変化と価値の構造を観測するための対象でもあります。
だからこそ私は、ここに行きついたのだと思っています。

このブログを始めた理由については、前回の記事 [なぜ「光の観測航路ログ」を始めたのか|このブログで書きたいこと] に書きました。
また次の記事では、[なぜ私はビットコインを手放さないのか] について書いています。


また次の記事では、「なぜ私はビットコインを手放さないのか」について書いています。

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