「私はビットコインで何を観測しているのか」

ビットコイン・投資

価格ではなく、構造を見ている

私がビットコインを保有し続けている理由は、単に価格が上がると考えているからではありません。

むしろその逆で、価格というもの自体には、以前ほど強い関心はありません。

もちろん、価格は重要です。
しかしそれはあくまで「結果」の一つであって、本質そのものではないと思っています。

私が見ているのは、その背後にある構造です。

ビットコインに行きついた理由そのものについては、[なぜ私はビットコインに行きついたのか] に書きました。
そして、その上でなぜ今も手放していないのかは、[なぜ私はビットコインを手放さないのか] で整理しています。
この文章では、そのさらに奥にある「私は何を見ているのか」を言葉にしてみたいと思います。

価値は誰が決めているのか

ビットコインという存在は、人間がこれまで当たり前として受け入れてきた「価値の定義」そのものを揺さぶります。

誰が価値を決めるのか。
国家なのか、企業なのか、それとも市場なのか。

あるいは、それはそもそも「決めるもの」なのでしょうか。

価値というものは、最初からそこに固定されているようでいて、実際には多くの人の認識や合意によって支えられています。
この点は、[価値とは何か──なぜ人はそれを信じてしまうのか] でも考えました。

ビットコインを見ていると、価値とは数字そのものではなく、何を信じ、何を共有し、何を土台にするかという問題に見えてきます。

組織で感じた違和感

私は長い間、会社という組織の中で働いてきました。
そこにはルールがあり、評価基準があり、秩序がありました。

それはある意味で合理的であり、同時にどこか不自然でもありました。

なぜなら、そこでは常に「決められた価値」に従うことが求められるからです。

もちろん、組織には組織の論理があります。
共通の基準がなければ、物事は回りません。
ただ、その基準がいつも本質に触れているとは限らない。
そこに、私は長く違和感を持ってきました。

こうした感覚は、[会社という世界で見た“価値の歪み”] にもつながっています。
組織の中で何が価値とされ、何が見落とされるのか。そうしたテーマも、私の中ではビットコインと無関係ではありません。

分散というもう一つの秩序

しかしビットコインは異なります。

誰かが決めた価値ではなく、参加者全体の合意によって成り立っています。
そしてその合意は、中央の権力ではなく、分散されたネットワークによって維持されています。

ここに、私は強い違和感と同時に、ある種の美しさを感じました。

それは、人間の社会構造とは異なる、もう一つの秩序の形です。

もちろん、そこにも混乱や偏りはあります。
理想郷のように語るつもりはありません。
それでもなお、中央で決められた価値ではなく、分散した合意と検証によって支えられる仕組みには、今の社会に欠けている何かがあるように思えます。

観測しているのは人間そのもの

ビットコインは、単なる金融資産ではありません。
それは一つの「現象」であり、私にとっては観測対象でもあります。

人間の欲望、恐怖、信頼、そして集合的な意思が、リアルタイムで反映される場でもあります。

価格が上がると人は集まり、下がると人は離れていく。
熱狂と失望が繰り返される。
しかし、その繰り返しの中でも、確実に残り続けるものがあります。

それは、「信じ続ける者」の存在です。

短期的な相場の揺れについては、[ビットコインは大きく動くのか、それともまだ停滞するのか──いま相場が迷っている理由] や、[日経は上がるのに、なぜビットコインは重いのか──8万ドルが遠い理由を考える] のような記事で、その時々の空気として見ることもできます。
ただ、私が本当に見ているのは、その奥で人がどう反応し、何を信じ、何を手放すのかという部分です。

なぜ人は信じるのか

私はそこを見ています。

なぜ人は信じるのか。
何を根拠に信じるのか。
そして、何が崩れたときに信じなくなるのか。

これは投資の話であると同時に、人間の構造の話でもあります。

人は、数字だけで動いているようでいて、実際には物語や意味や空気にも強く影響されます。
合理だけでは説明しきれない部分が、いつもそこにあります。

このテーマは、[信じるとは何か──人はなぜ錯覚するのか] にもつながっています。
ビットコインを見ていると、結局は人が何を現実と見なし、何に意味を与えるのかという問いに戻ってくるのです。

この観測は自分へ向かう

ビットコインを通して、私は人間そのものを観測しています。

そしてその観測は、やがて自分自身へと向かっていきます。

自分は何を信じているのか。
何に不安を感じ、何に希望を見ているのか。
どこまで自由を求め、どこで安心に寄りかかろうとするのか。

ビットコインを見ているつもりで、実は自分を見ている。
そんな感覚になることがあります。

このブログは、その記録でもあります。
相場や価格だけではなく、その背後で動いている人間の構造や、自分自身の感覚も含めて、これからも観測し続けていきたいと思っています。

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