人はなぜ他人の成功にイライラするのか|ゲームが違うことに気づいた日

洞察・思考

一応、相場にはそれなりに長く向き合ってきた。トレードにおける自己規律や、メンタル面の重要性も、頭では理解しているつもりでいる。最近は、資産を増やすことだけでなく、保有資産をどう守り、どう運用していくかを考える段階にも入っている。

しかし、それでも毎回のように反省と自戒を繰り返している。現在の相場を見ていて、まさに自分の未熟さが露呈していると感じた。今回は、その感情を記事として観測してみたい。

日経平均が上がるのに、なぜか面白くない

最近まで、日経平均はかなり強い動きを見せていた。もちろん日々の上下はあるが、ビットコインが重い局面で株式市場の強さが目に入ると、どうしても心がざわつく。

ニュースでは株高が報じられ、新NISAで順調に資産形成しているように見える人たちの話も目に入る。一方で、執筆時点のビットコインは重い動きを続けている。

私はビットコインを長期で保有している。過去から見れば、ある程度の含み益もある。冷静に考えれば、焦る必要はない。

それなのに、日経平均の上昇を見ると、なぜか面白くない。新NISAでうまくいっているように見える人を見ると、どこか引っかかる。

ここで一度、立ち止まる必要がある。私は本当に損をしているのだろうか。それとも、別の何かに反応しているだけなのだろうか。

指数や個別株の数字に単純に右往左往しているわけではない。現在の市況の構造や背景を理解しているつもりでも、それでも感情は反応してしまう。そこに、今回の記事のテーマがある。

怒りの対象は、本当に日経平均だったのか

最初は、日経平均にイライラしているのだと思っていた。ビットコインが重い動きをしているのに、なぜ米国株だけでなく、日経平均まで大きく上がるのか。なぜ、今さら新NISAを始めた人たちが楽しそうに見えるのか。なぜ、自分が見ている世界とは違うところで、別の盛り上がりが起きているのか。

しかし、よく観測してみると、怒りの対象は日経平均そのものではなかった。

日経平均が上がること自体が悪いわけではない。新NISAで資産形成が順調に見える人がいることも悪いわけではない。他人が資産を増やすことも、本来は自分の損失ではない。むしろ、本来であれば、他人の喜びは祝福したいと思う側でありたい。

それでも反応してしまう。つまり、これは相場の問題ではなく、自分の内側の問題だった。

人は「参加していないゲーム」が盛り上がると不安になる

私は現在、諸事情もあり、ポートフォリオにおける仮想通貨のウェイトがかなり大きい。

人間は、自分が参加していない場所で誰かが成功していると、不思議な不安を感じることがある。それは、単純な嫉妬とは少し違う。

自分が選ばなかった道が正解だったのではないか。自分がいる場所は間違っていたのではないか。自分だけが違うゲームをしていて、取り残されているのではないか。そういう感覚が、心の奥で動き出す。

たとえば、自分がビットコインという長期戦のゲームに参加しているとする。実際、私はそういうゲームを選んでいる。

そこへ、日経平均や新NISAという別のゲームが急に盛り上がる。すると、自分のゲームが止まっているように見える。相手のゲームだけが進んでいるように見える。そして、自分の選択が揺さぶられる。

しかし、ここで重要なのは、ゲームが違うということだ。

同じ投資でも、ゲームのルールは違う

株式投資、新NISA、インデックス投資、ビットコイン投資。これらはすべて「投資」と呼ばれる。しかし、実際には同じゲームではない。

新NISAは、制度の中で長期的に資産形成を行うゲーム。インデックス投資は、経済成長と市場平均に乗るゲーム。個別株は、企業価値や需給、業績を読むゲーム。ビットコインは、国家通貨、希少性、非中央集権、制度化、そして人間の信用構造を観測するゲーム。

同じ「お金を増やす行為」に見えても、背景にある思想も、時間軸も、耐えるべき痛みも違う。だから、別のゲームのスコアを見て、自分のゲームの勝敗を判断してはいけない。

サッカーをしている人が、野球の得点板を見て焦っても意味がない。将棋を指している人が、短距離走のタイムを見て落ち込んでも意味がない。ゲームが違えば、勝ち方も、待ち方も、評価基準も違う。

頭では、そこまで分かっている。それでも感情は、別のゲームのスコアに反応してしまう。

だからこそ、これは単なる投資判断の話ではない。自分の内側を観測する話なのだと思う。

他人の成功にイライラする時、自分の軸が試されている

他人の成功を見てイライラするとき、そこには自分の弱さが出る。自分の選択に確信が持てていない。他人の結果と自分の現在地を比べている。自分の時間軸を忘れている。自分のゲームのルールを一瞬見失っている。

だから、他人の成功に反応したときは、相手を責めるより先に、自分を観測した方がいい。

なぜ私は反応したのか。なぜ面白くないと感じたのか。私は何を失ったと感じているのか。本当に失っているのか。それとも、比較によって勝手に不足感を作っているだけなのか。

この問いを持つだけで、感情は少し距離を取って見えるようになる。

他人が勝っているように見える。自分だけが止まっているように見える。自分の選択が間違っていたように感じる。しかし、それは本当に事実なのだろうか。

もしかすると、自分が見ているのは相手の成功ではなく、自分の中にある不安なのかもしれない。

私はビットコインという別のゲームを選んでいる

私が参加しているゲームは、短期的に日経平均と競争するゲームではない。新NISAで資産形成している人たちと、毎月のパフォーマンスを競うゲームでもない。SNSで誰が勝った、誰が儲かったと騒ぐゲームでもない。

私が見ているのは、ビットコインという存在が、これからの金融、国家、価値、信用、制度の中でどのような位置を占めていくのかという長期のゲームだ。

それは、簡単に勝敗が出るゲームではない。途中で何度も停滞する。何度も疑われる。何度も暴落する。そして、そのたびに人間の心理が試される。

だからこそ、ビットコインのゲームでは、価格だけでなく、自分の反応も観測対象になる。

私は過去に、日経225先物やオプションも経験してきた。だから、指数の大きな動きを見れば、そこに参戦したくなる気持ちもある。しかし、今はそれをしないと決めている。

この我慢と忍耐も、今の感情を増幅させているのだと思う。

相場に入りたい。でも、入らない。

その葛藤もまた、私が選んだゲームの一部なのかもしれない。

比較ではなく、観測へ

他人の成功にイライラすることは、恥ずかしいことではない。むしろ、それに気づけるかどうかが大事なのだと思う。

人間である以上、比較はする。他人の結果が気になる。自分の選択が正しかったのか、不安になる。

しかし、その感情をそのまま相手への批判に変えてしまうと、何も見えなくなる。一方で、その感情を観測できれば、自分の内側にある不安や承認欲求、焦りが見えてくる。

怒りは、外側の敵を攻撃するためだけのものではない。自分の中にある揺らぎを知らせる信号でもある。

「なぜ私は反応したのか」

この問いを持てるだけで、感情は少し変わる。怒りは、他人を裁くためのものではなく、自分を知るための入口にもなる。

ゲームが違うことに気づくと、静かになれる

日経平均が上がってもいい。新NISAで利益を出す人がいてもいい。株式市場が盛り上がってもいい。それは、そのゲームに参加している人たちの世界だ。

私は私で、自分が選んだゲームを進めればいい。大切なのは、他人のゲームを否定することではない。自分のゲームを見失わないことだ。

ゲームが違う。

この一言に気づくと、少し静かになれる。

他人の成功を見ても、すぐに自分の失敗だと受け取らなくてよくなる。別の場所で別の人が勝っているだけだと分かる。自分は、自分の場所で、自分の時間軸で進めばいい。

投資とは、資産を増やす行為であると同時に、自分の感情を観測する行為でもある。

他人の成功にイライラした日。それは、自分のゲームを再確認するための日だったのかもしれない。

まとめ

人は、他人の成功そのものにイライラしているのではない。自分が参加していないゲームが盛り上がっているとき、自分の選択や現在地が揺さぶられる。

しかし、ゲームが違えば、勝敗の基準も違う。新NISAには新NISAのゲームがある。株式投資には株式投資のゲームがある。ビットコインにはビットコインのゲームがある。

他人の成功を見て反応したときこそ、自分がどのゲームに参加しているのかを思い出したい。

比較ではなく、観測へ。

それが、他人の成功に振り回されず、自分の航路を進むための一つの方法なのだと思う。