職場の小型シスに心を支配されないために

「許す」という言葉は、とても誤解されやすい。
誰かに嫌な思いをさせられたとき。
理不尽な扱いを受けたとき。
職場でエネルギーを削られたとき。
そこで「許した方がいい」と言われると、少し違和感を覚えることがあります。
立場的にこちらが抑えなくてはならない場合もあります。
状況的に、我慢せざるを得ない場面もあるでしょう。
それでも、心の中では思います。
なぜ、こちらが許さなければならないのか。
なぜ、相手の問題をなかったことにしなければならないのか。
なぜ、傷つけられた側が大人にならなければならないのか。
なぜ、理不尽な行為に目をつむる必要があるのか。
そう感じるのは、自然なことだと思います。
特に、職場で責任を曖昧にされたり、陰で印象を操作されたり、自分が不当に悪者のように扱われたりした場合、簡単に「許す」などとは言えません。
私も、「許す」という言葉を、長い間どこかきれいごとのように感じていました。
しかし最近は、少し違う捉え方をしています。
許すとは、相手を受け入れることではない。
許すとは、相手を自分の心の中心から降ろすこと。
そう考えるようになりました。
小型シスとは何か
前回の記事で、私は「影の小者」という言葉を使いました。
影の小者とは、単に能力が足りない人のことではありません。
もちろん、能力や経験が足りないことはあるでしょう。
しかし、本当の問題はそこではありません。
分からないことを認めない。
自分の課題を引き受けない。
責任を曖昧にする。
失敗したときには、自分を被害者の位置に置く。
正面から向き合う代わりに、陰で空気を動かそうとする。
こうした姿勢の小ささが、周囲を消耗させます。
そして、その影の小者が、怒り、被害者意識、責任転嫁、印象操作といったダークサイド的な要素だけをまとったとき、私は皮肉を込めて「小型シス」と呼んでいます。
もちろん、本物のシスではありません。
スター・ウォーズに登場するシスには、彼らなりの思想、力、哲学があります。
そう考えると、職場で周囲を消耗させるだけの存在を、いきなりシスと呼ぶのは、少しシスに失礼かもしれません。
本物のダークサイドに立つほどの力も思想もない。
しかし、ダークサイド的な悪い要素だけは持っている。
周囲を巻き込み、人の怒りを引き出し、場の空気を濁らせる。
そういう小さな闇の発生源。
それが、ここでいう小型シスです。
小型シスは、目の前から消えても心に残る
小型シスの厄介なところは、目の前から消えたあとも、心の中に残り続けることです。
会議が終わっても、まだ腹が立っている。
家に帰っても、あの言い方を思い出している。
風呂に入っていても、頭の中で反論している。
寝る前にも、まだ相手を裁いている。
相手はもう目の前にいません。
それなのに、自分の心の中では、まだその人が話している。
まだその人と戦っている。
まだその人を責めている。
これは、とても疲れます。
嫌いな相手なのに、自分の中ではずっと同席させている。
関わりたくない相手なのに、自分の時間を渡し続けている。
ここに、怒りの罠があります。
「許せない」は強い接続でもある
誰かを許せない。
その感情には、それなりの理由があります。
理不尽なことをされた。
責任を押しつけられた。
嫌な思いをさせられた。
誠実に向き合ってもらえなかった。
こちらの時間やエネルギーを奪われた。
陰で都合のよい話をされた。
だから、許せない。
それは自然です。
しかし、「許せない」と思い続けることは、相手と強く接続し続けることでもあります。
あいつだけは許せない。
いつか分からせたい。
自分の正しさを認めさせたい。
相手が間違っていたと証明したい。
相手が恥をかくところを見たい。
この思考が続く限り、相手は自分の心の中で大きな存在であり続けます。
嫌いなのに、中心にいる。
拒絶しているのに、つながっている。
忘れたいのに、何度も呼び戻している。
これは、とても皮肉な状態です。
相手を許さないことで自分を守っているつもりが、実は相手を心の中に住まわせ続けていることがあるのです。
許すとは、相手を肯定することではない
ここで大切なのは、許すことを美談にしないことです。
許すとは、相手を肯定することではありません。
相手の行為を正当化することでもありません。
相手と仲直りすることでもありません。
もう一度信用することでもありません。
相手を自分の近くに置くことでもありません。
これは、はっきり分けた方がいいと思います。
許すという言葉には、どうしても「水に流す」「受け入れる」「仲良くする」という響きがあります。
しかし、私がここで言いたい許しは、それとは違います。
相手を信用しないままでもいい。
距離を取ったままでもいい。
二度と深く関わらなくてもいい。
必要最低限の事務的な関係だけでもいい。
それでも、自分の心の中心から相手を降ろす。
これが、私にとっての「許す」に近い感覚です。
許しても、信用しなくていい
ここは特に大切です。
許すことと、信用することは違います。
一度見えた相手の性質を、なかったことにする必要はありません。
同じ距離感に戻る必要もありません。
以前と同じように接する必要もありません。
相手が責任を曖昧にする人なら、責任範囲を明確にする。
相手が言葉を変える人なら、記録を残す。
相手が空気を操作する人なら、事実ベースで対応する。
相手が被害者の立場で周囲を巻き込む人なら、感情で返さない。
これは、許していないからではありません。
もう一度、心を支配されないためです。
許したからといって、無防備になる必要はありません。
許したからといって、再び近づく必要もありません。
許すとは、相手にもう一度権限を渡すことではないのです。
許さないことで、相手を支配しているつもりになる
怒っているとき、人はどこかで相手を支配しているような気持ちになることがあります。
私はあなたを許していない。
あなたのしたことを忘れていない。
あなたは間違っていた。
私はそれを覚えている。
その感情は、自分の尊厳を守っているようにも見えます。
もちろん、忘れてはいけないこともあります。
相手の問題をなかったことにしてはいけない場面もあります。
同じことを繰り返させないために、記録や距離が必要なこともあります。
ただし、怒りを持ち続けることで、自分が相手を支配しているとは限りません。
むしろ、相手の方に心を支配されていることがあります。
相手はもう何も考えていないかもしれない。
相手は平気で過ごしているかもしれない。
それなのに、こちらだけが何度も思い出し、怒り、消耗している。
そうであるなら、これはあまりにも割に合わない。
小型シスのために、自分の貴重な時間と心を燃やし続ける必要はないのです。
小型シスと戦い続けると、自分も濁る
小型シスと本気で戦えば、勝てる場面もあるかもしれません。
相手の矛盾を指摘する。
逃げ道を塞ぐ。
事実を突きつける。
言葉で追い詰める。
周囲に本質を分からせる。
そういうことができる人もいます。
しかし、問題は勝てるかどうかではありません。
その戦いによって、自分がどこまで暗くなるかです。
相手を潰すことを考える。
相手に恥をかかせることを考える。
相手の評価を下げることを考える。
相手が反論できないところまで追い込むことを考える。
そういう思考に長く触れていると、自分の内側も少しずつ濁っていきます。
たとえ相手が悪くても、こちらがその暗さを抱え続ける必要はありません。
小型シスと戦い続けると、自分も小型シスの世界に引きずり込まれてしまう。
これが一番危ないところです。
許すとは、心の中心から降ろすこと
だから、私はこう考えるようになりました。
許すとは、相手を受け入れることではない。
許すとは、相手を自分の心の中心から降ろすこと。
この考え方なら、無理にきれいごとにしなくていい。
相手を好きにならなくていい。
相手を評価し直さなくていい。
相手の言い分を理解しようとしなくてもいい。
深く関わらなくていい。
信用しなくていい。
ただ、心の中心に置かない。
その人のために、これ以上、自分の時間を使わない。
その人のために、これ以上、自分の感情を燃やさない。
その人を倒すために、自分の知恵を使わない。
その人の存在で、自分の次の人生を濁らせない。
これが、かなり大事なのだと思います。
距離を取ることは、許しの一部である
許すというと、相手に近づくことのように思われがちです。
しかし、本当に必要な許しは、距離を取ることから始まる場合があります。
関わる時間を減らす。
必要以上に反応しない。
個人的な感情を持ち込まない。
相手の発言を過大評価しない。
必要な記録だけ残し、必要な事実だけ共有する。
相手の未熟さを、自分の人生の課題にしない。
これは冷たい対応ではありません。
むしろ、自分の心を守るための現実的な知恵です。
許すとは、相手を近くに置くことではない。
許すとは、相手との不要な接続を切ることでもある。
そう考えると、少し楽になります。
ジェダイの思考モードで見る
前回の記事で、私は「ジェダイの思考モード」という言葉を使いました。
それは、怒りがない状態ではありません。
怒りに飲まれず、怒りを観測している状態です。
今、自分は相手を責めたいと思っている。
今、自分は相手を追い込みたいと思っている。
今、自分は相手に分からせたいと思っている。
今、自分は許さないことで、相手とつながり続けている。
そう見えること。
見えた瞬間に、少し距離が生まれます。
怒りそのものになるのではなく、怒りを見ている自分に戻る。
そこに、許しの入口があります。
許しとは、急に心が穏やかになることではありません。
怒りを感じたままでもいい。
嫌悪感が残っていてもいい。
信用していなくてもいい。
それでも、自分の心を相手に渡し続けることをやめる。
これが、ジェダイの思考モードで見る「許す」ということなのかもしれません。
許すとは、静かな断絶である
私にとって、許すとは、必ずしも温かい言葉ではありません。
それは、場合によっては静かな断絶です。
あなたを信用しない。
あなたに期待しない。
あなたを変えようとしない。
あなたと深く関わらない。
あなたを自分の人生の中心に置かない。
しかし、あなたへの怒りで、自分の人生を燃やし続けることもしない。
これは冷たいようでいて、かなり成熟した距離の取り方だと思います。
怒り続けることは、ある意味で簡単です。
相手を責め続けることも、簡単です。
頭の中で相手を裁き続けることも、簡単です。
難しいのは、相手を裁く快感からも離れることです。
その人を倒す物語から降りることです。
現実的に言えば、必要以上に相手にしない。
必要な場面以外では、静かに距離を置く。
いい人になる必要はありません。
ただ、自分の心を相手に渡し続ける必要もないのです。
自分の心を取り戻すために
職場の小型シスに苦しめられると、心はだんだん狭くなります。
あの人さえいなければ。
あの人が変われば。
あの人が責任を取れば。
あの人が自分の間違いを認めれば。
そう考えてしまう。
しかし、この状態では、自分の心の鍵を相手に渡してしまっています。
相手が変わらなければ、自分は楽になれない。
相手が謝らなければ、自分は前に進めない。
相手が罰を受けなければ、自分は納得できない。
これでは、相手が自分の心の門番になってしまいます。
本当は、自分の心の鍵は、自分が持っていていい。
相手が変わらなくても、自分は距離を取れる。
相手が謝らなくても、自分は前に進める。
相手が反省しなくても、自分は自分の航路に戻れる。
これが、許しの本質なのかもしれません。
自分の航路に戻る
職場には、いろいろな人がいます。
誠実な人もいます。
責任感のある人もいます。
一方で、周囲を消耗させる人もいます。
責任を曖昧にする人もいます。
空気を濁らせる人もいます。
そういう相手に怒りを感じるのは、自然です。
しかし、その相手をいつまでも心の中心に置く必要はありません。
許すとは、相手を受け入れることではない。
相手を信用することでもない。
過去をなかったことにすることでもない。
許すとは、相手を自分の心の中心から降ろすこと。
その人に奪われていた時間を、自分に戻す。
その人に向けていた意識を、自分の人生に戻す。
その人との戦いに使っていた力を、次の航路に戻す。
小型シスに心を支配されないために必要なのは、相手を倒すことではありません。
相手に自分の内側を明け渡さないことです。
そして静かに、自分の航路へ戻ること。
それが、私にとっての「許す」ということなのだと思います。
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職場には、こちらを低い土俵に引きずり込む「影の小者」がいます。
戦えることと、戦うべきことは違うという視点で考えます。



