投資で一番危険なのは誰か|私を誘惑する営業マンは私だった

洞察・思考

投資の世界には、外からやってくる誘惑がいくらでもある。

銀行や証券会社の営業マン。
金融商品の販売員。
SNSで利益を見せてくる人たち。
相場の熱狂を煽る言葉。

そうした外側からの誘惑は、たしかに危険である。

しかし、投資を続けていると、もう一つ別の誘惑に気づく。
それは、誰かに勧められたわけでもないのに、自分の内側から湧いてくる声である。

「今買わないと後悔するのではないか」
「ここで売らないと危ないのではないか」
「もっと効率よく増やせる方法があるのではないか」

外から言われれば疑える言葉でも、自分の中から出てくると、なぜか説得力を持ってしまう。

私はこの声を、「内側の営業マン」と呼んでいる。


外部の勧誘は、まだ疑うことができる

外から来る営業マンは、まだ分かりやすい。

誰かが商品を勧めてくる。
手数料の高い商品を提案してくる。
やたらと夢のある話をしてくる。
「これから伸びます」「今がチャンスです」と言ってくる。

自分に知識と経験があれば、そういう話にはある程度警戒できる。

この人は何を売りたいのか。
手数料はどこにあるのか。
なぜ自分に勧めてくるのか。
本当に自分のためなのか。

少し冷静になれば、距離を取ることはできる。

外部の勧誘には、相手がいる。
相手がいれば、疑うことができる。
断ることもできる。

しかし、内側から湧く誘惑は違う。

相手がいない。
声を出しているのは自分である。

まるで、自分の脳の中からもう一人の自分が出てきて、もっともらしい理由を語り始める。

私はこれを「内側の営業マン」と呼んでいる。

だから疑いにくい。

「これは自分の判断だ」
「これは合理的な判断だ」
「今動くべき理由がある」
「今回はいつもと違う」

そう思ってしまう。

だが、その声は本当に自分の冷静な判断なのか。


相場が動くと、内側の営業マンが目を覚ます

普段は冷静にしているつもりでも、相場が大きく動くと内側の営業マンが目を覚ます。

上がれば、こう囁く。

「もっと買っておけばよかったと後で後悔するぞ」
「まだ間に合うぞ」
「ここからさらに上がるかもしれない」
「今買わないと、置いていかれるぞ。いいのか」

下がれば、こう囁く。

「ここで買えば大きく取れる」
「底かもしれない。上がり出したら買えなくなるぞ」
「今こそ勝負ではないか」
「ここで動ける者だけが勝つ」

横ばいなら、こう囁く。

「何もしないのは機会損失ではないか」
「もっと効率のいい投資先があるのではないか」
「今のままで本当にいいのか」
「資金を眠らせていていいのか」

不思議なことに、相場が上がっても、下がっても、横ばいでも、内側の営業マンは何かを売り込んでくる。

それは商品ではない。
行動である。

買え。
売れ。
乗り換えろ。
増やせ。
取り返せ。
勝負しろ。
もっと効率よくやれ。

外部の営業マンが金融商品を売ってくるのだとすれば、内側の営業マンは「行動したくなる理由」を売ってくる。

そして、その売り込みは非常に巧妙である。

なぜなら、その声は自分の欲望に合わせて作られているからだ。


気絶投資家が勝つ理由の裏側

前回までの記事では、気絶投資家について考えてきた。

相場を見ない。
売らない。
余計なことをしない。
ただ持ち続ける。

この姿勢は、一見すると何も考えていないように見える。

しかし、投資の世界では、何もしないことが強力な武器になることがある。

なぜなら、人は動きすぎるからである。

相場を見れば、反応したくなる。
利益が出れば、利確したくなる。
下がれば、不安になる。
他の銘柄が上がれば、乗り換えたくなる。
ニュースを見れば、自分の判断を変えたくなる。

投資では、知識が増えるほど判断が増える。
判断が増えるほど、行動したくなる。
行動が増えるほど、失敗の入口も増える。

もちろん、すべての行動が悪いわけではない。

リスク管理のために動くことはある。
資産配分を見直すこともある。
生活環境の変化に合わせて、投資方針を変える必要もある。

しかし、問題はそこではない。

本当に必要な行動なのか。
それとも、ただ不安や欲望に動かされているだけなのか。

ここを見分けることが難しい。

気絶投資家が勝つことがあるのは、投資が上手いからだけではない。
余計な誘惑に反応しないからである。

本人が意識しているかどうかは別として、内側の営業マンを無視している。

これが強い。


放置は武器か、祈りか

放置もまた、単純な言葉では片づけられない。

考えたうえでの放置は武器になる。
考えないままの放置は祈りになる。

自分が何を持っているのか。
なぜ持っているのか。
このまま下落し続けても持てるのか。
いつ売る可能性があるのか。
生活資金と投資資金は分かれているのか。

これらを考えたうえで持ち続けるなら、それは戦略である。

しかし、何も考えずに「いつか上がるはず」と願っているだけなら、それは祈りである。

ここで厄介なのは、外から見るとどちらも同じに見えることだ。

売らない。
動かない。
持ち続ける。

行動だけ見れば同じである。

だが、中身は違う。

戦略として動かない人と、怖くて動けない人は違う。
観測して放置している人と、現実を見ないために放置している人は違う。

そして、ここにもう一つの問題が出てくる。

戦略として放置しているつもりでも、相場が動くと人は動きたくなる。

このときに現れるのが、内側の営業マンである。


それでもなぜ人は動きたくなるのか

人はなぜ、動きたくなるのか。

一つは、何もしないことに耐えられないからである。

投資をしているのに、何もしない。
相場が動いているのに、見ているだけ。
ニュースが出ているのに、反応しない。
他人が利益を出しているのに、自分は動かない。

競馬などのギャンブルでも、「ケン」という言葉がある。

すべてのレースに賭けるのではなく、分からないレース、期待値が低いレース、リスクとリターンが見合わないレースには手を出さない。
つまり、見送るという判断である。

これは意外と難しい。

人は、何かをしている方が安心する。

考えた気になる。
努力した気になる。
相場に参加している気になる。
やらないと損した気がする。

しかし、投資では「何かした」という感覚と「成果が出る」ことは一致しない。

むしろ、何かしたことで悪化することも多い。

買わなくていいところで買う。
売らなくていいところで売る。
乗り換えなくていいところで乗り換える。
触らなくていい資産を触る。

こうして、自分で自分の資産に手を入れてしまう。

しかも、そのとき本人は、かなり合理的な判断をしているつもりでいる。

ここが怖い。

失敗する投資家は、必ずしも愚かな顔をして失敗するわけではない。

むしろ、真剣に考えた結果として失敗する。

真剣に考え、もっともらしい理由を見つけ、自分を納得させ、動く。

その理由を用意してくれるのが、内側の営業マンである。


内側の営業マンは、自分の弱点を知っている

外部の営業マンよりも、内側の営業マンの方が厄介な理由がある。

それは、自分の弱点をすべて知っているからである。

自分が何に弱いか。
どんな話に反応するか。
どのくらいの利益で欲が出るか。
どのくらいの損失で不安になるか。
どんな言葉で自分を正当化するか。

内側の営業マンは、これを全部知っている。

だから、売り込みがうまい。
そして、崩し方もよく把握している。

「これはギャンブルではない。戦略だ」
「今回は短期で少しだけ取るだけだ」
「利益が出たらすぐ逃げればいい」
「このチャンスを見逃す方が損だ」
「今のままだと資金効率が悪い」
「もっと上手くやれるはずだ」

こういう言葉は、外から言われれば疑える。
しかし、自分の中から出てくると、なぜか説得力を持ってしまう。

特に危険なのは、過去に一度でも成功体験がある場合である。

あのときは上手くいった。
あのとき動いたから利益が出た。
今回も同じようにできるのではないか。

成功体験は、自信になる。
しかし同時に、誘惑の材料にもなる。

内側の営業マンは、その成功体験を使ってくる。

「あのときできたではないか」
「今回もいけるのではないか」
「むしろ、ここで動かない方が臆病ではないか」

こうして、過去の成功が、次の失敗の入口になることがある。


危険なのは、欲望そのものではない

ここで誤解したくないのは、欲望そのものが悪いわけではないということだ。

資産を増やしたい。
自由になりたい。
将来の不安を減らしたい。
より良い投資先を探したい。
機会を逃したくない。

こうした欲望があるから、人は投資を始める。

欲望がなければ、資産形成も始まらない。
現状を変えたいという気持ちがなければ、投資の勉強もしない。

問題は、欲望が判断を乗っ取ることである。

欲望があることと、欲望に動かされることは違う。

不安があることと、不安に支配されることも違う。
チャンスを感じることと、チャンスに飛びつくことも違う。
勝負どころを考えることと、勝負したい気持ちに理由をつけることも違う。

投資で大事なのは、欲望を消すことではない。

欲望が出てきたときに、それを観測できるかどうかである。

今、自分は欲を出している。
今、自分は焦っている。
今、自分は退屈している。
今、自分は何かしたくなっている。
今、自分の中の営業マンが話し始めている。

そう気づけるかどうか。

ここに大きな差がある。


「動かない判断」は、思っているより難しい

投資では、買う判断や売る判断ばかりが注目される。

何を買うか。
いつ買うか。
どこで売るか。
どの銘柄に乗るか。
どのタイミングで逃げるか。

しかし、本当に難しいのは「動かない判断」ではないかと思う。

見送る。
触らない。
買い増ししない。
売らない。
乗り換えない。
そのままにしておく。

これは簡単そうに見えて、実は難しい。

もちろん、金融機関や販売側にとっては、投資家がまったく動かないよりも、売買や乗り換えが発生した方が収益につながりやすい場合がある。
そのため、外部から行動を促されることもある。

ただし、これはあくまで外部の営業マンの話である。
ここで見ているのは、それよりもさらに厄介な、自分の内側から出てくる営業マンである。

動かないことが難しいのは、動かないことには達成感がないからだ。

何かを買えば、行動した感覚がある。
何かを売れば、判断した感覚がある。
銘柄を入れ替えれば、改善した感覚がある。

しかし、動かないことには、何も起きない。

だから退屈である。
だから不安になる。
だから、自分の判断が正しいのか確認したくなる。

そして確認しようとして相場を見続けると、また動きたくなる。

この循環が危険である。

投資で一番難しいのは、最善の行動を探すことではなく、不要な行動を減らすことなのかもしれない。


私を誘惑する営業マンは私だった

結局、投資で一番危険なのは誰なのか。

外部の営業マンは危険である。
SNSの煽りも危険である。
ニュースの見出しも危険である。
相場の熱狂も危険である。

だが、それ以上に危険なのは、自分の内側から湧いてくる声である。

もっと増やせるのではないか。
今なら勝てるのではないか。
ここで動けば差がつくのではないか。
このままでは機会損失ではないか。
一度くらい勝負してもいいのではないか。

その声は、いつも自分の味方のような顔をして現れる。

しかし、本当に味方とは限らない。

それは、焦りかもしれない。
欲かもしれない。
退屈かもしれない。
過去の成功体験かもしれない。
損を取り返したい気持ちかもしれない。
他人と比べてしまう心かもしれない。

だから、投資で大切なのは、自分を信じることだけではない。

自分を疑うことでもある。

自分の判断を疑う。
自分の欲望を疑う。
自分の中から出てきたもっともらしい理由を疑う。

これは自己否定ではない。

自己観測である。


投資とは、自分の内側を観測する行為でもある

投資を続けていると、相場を見ているつもりで、実は自分を見ていることに気づく。

上昇相場で、自分はどれだけ欲を出すのか。
下落相場で、自分はどれだけ不安になるのか。
横ばい相場で、自分はどれだけ退屈に耐えられるのか。
他人の成功を見て、自分はどれだけ揺れるのか。
自分の計画を守れるのか。
それとも、都合のいい理由を作って破るのか。

相場は価格を動かす。
しかし、その価格の動きによって揺さぶられるのは自分である。

だから投資とは、単に資産を増やす行為ではない。
自分の内側を観測する行為でもある。

外部の情報を集めることも大事だ。
金融商品の仕組みを知ることも大事だ。
税金や制度を理解することも大事だ。

しかし、それだけでは足りない。

自分がどの局面で誘惑されるのか。
どの言葉に弱いのか。
どんなときにルールを破りたくなるのか。
どんなときに「今回は特別だ」と思うのか。

そこを見ておかないと、投資判断は簡単に自分の欲望に乗っ取られる。


おわりに

投資で一番危険なのは誰か。

それは、外からやってくる営業マンだけではない。

むしろ、本当に危険なのは、自分の中にいる営業マンである。

その営業マンは、トークがうまい。
理由を作るのがうまい。
過去の成功体験を使うのがうまい。
不安や欲望を、合理的な判断のように見せるのがうまい。

だからこそ、投資家は相場だけを見ていればいいわけではない。

自分の中で、今どんな声が聞こえているのか。
その声は、本当に必要な判断なのか。
それとも、動きたいだけの誘惑なのか。

そこを観測する必要がある。

投資で勝つために必要なのは、常に正しい行動をすることではない。
むしろ、余計な行動をしないことかもしれない。

そして、余計な行動を減らすためには、まず自分の中の営業マンに気づくことだ。

私を誘惑していた営業マンは、外にいたのではない。
私の中にいた。

一生懸命、投資に関する本を何冊も読み、知識を身につけ、相場に向き合った。
それでも、なぜか勝てない。
なぜ、自分はこんなに勉強しているのに、うまくいかないのか。

その答えの一つは、知識が足りないことではないのかもしれない。

相場を読む前に、自分の内側から湧いてくる声を読めていなかった。
外の市場を見る前に、自分の中の営業マンを見抜けていなかった。

投資で本当に難しいのは、銘柄を選ぶことだけではない。
自分が、いつ、どんな理由で動きたくなるのか。

そこを観測することなのだと思う。

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