価格を見ない方がいい、は本当か|見るべきは市場、見ない方がいいのは資産残高

資産の考え方

見るべきは市場、見ない方がいいのは資産残高

資産残高や評価損益ではなく、市場の動きや資金の流れを見る重要性

投資では、「価格を見ない方がいい」と、しばしば言われる。

「価格はあまり見ない方がいい」

「長期投資なら、日々の値動きを気にする必要はない」

「相場を放置できる人ほど、投資に向いている」

一般の投資家が日常的に見ているのは、必ずしもチャートではない。

証券口座や投資アプリの一覧画面を開き、現在価格や前日比、評価損益を確認しているだけという人も多いだろう。

昨日より上がったのか、下がったのか。

自分の資産はいくら増えたのか、減ったのか。

価格が下がるたびに不安になり、上がるたびに興奮して売買してしまう人であれば、こうした数字を頻繁に見ない方が、損失を防げる場合もある。

しかし、この助言を投資全般に当てはめると、不都合が生じる。

私は可能な限り、投資対象の価格を確認している。必要に応じてチャートを開き、関連市場や資金の流れも調べる。

それでも、価格が下がったから不安になって慌てて売ることも、上昇したから興奮して買い増すこともない。

なぜなら、私が価格を見る目的は、自分の資産残高を確認することではないからである。

私が見ているのは、市場で何が起きているかである。

「価格を見るな」は誰に向けた言葉なのか

「価格を見るな」という助言は、本来、日々の値動きによって感情的な売買をしてしまう人に向けたものだったはずである。

買いから入っている人が、価格の下落に不安を感じて売却する。その直後に相場が戻ると、今度は乗り遅れることを恐れ、高値で買い戻す。

こうした行動を繰り返す人は、実際に少なくない。

そのような人であれば、現在価格や評価損益を頻繁に見ない方が、まだ損失は小さくなる可能性がある。

インデックスファンドを20年、30年という長い期間にわたって積み立てる人であれば、日々の値動きを確認せず、気絶投資で保有を続けることにも合理性はある。

ただし、その「気絶」を続けること自体が、実際には簡単ではない。

前の記事でも述べたが、気絶はある種のスキルともいえる。

大きな下落が起きれば不安になり、上昇が続けば追加投資を急ぎたくなる。価格を見ていなくても、感情まで消えるわけではないからである。

つまり、「価格を見るな」という言葉は、投資理論というよりも、感情を制御できない人への事故防止策に近い。

現物のインデックスファンドを長期間積み立て、数十年後まで売却する予定がない人であれば、日々の価格を細かく確認する必要性は低い。その範囲では、合理的な助言である。

しかし、それを投資全般の原則にまで広げることはできない。

投資対象も、保有する目的も、リスクの大きさも異なり、必要となる管理方法も同じではない。

「長期投資だから見ない」という言葉だけで、市場の変化を確認することまで放棄するのは危険である。

同じ価格を見ても、見ているものは違う

価格を確認する人には、大きく分けて二つのタイプがいる。

一つは、自分の損得を確認するために価格を見る人である。

もう一つは、市場の状態を理解するために価格を見る人である。

前者が見ているものは、複雑なチャートである必要さえない。

投資アプリの一覧画面に表示された現在価格、前日比、評価損益だけで十分である。

買いから入っている人であれば、上がれば資産が増えたと喜び、下がれば資産が減ったと不安になる。

判断基準が「上か下か」だけであれば、画面に表示されているのが株価や暗号資産価格であっても、その受け止め方は丁半博打と大きく変わらない。

この人は価格を確認しているようで、実際には市場を見ていない。

見ているのは、自分の損得と、そこから生まれる欲や恐怖である。

一方、市場を観測する人にとって、現在価格は判断材料の一つにすぎない。

価格がなぜ動いたのか。他の市場と比べて強いのか、弱いのか。資金はどこから入り、どこへ移動しているのか。これまで存在していた相関関係に変化はないか。市場参加者の警戒度は高まっていないか。自分が投資した前提は、現在も維持されているのか。

こうしたことを確認するために価格を見て、必要に応じてチャートや関連市場を分析する。

価格は、市場の状態を知るための入口である。

同じ数字を見ていても、自分の資産額を確認している人と、市場構造を確認している人では、見ている世界がまったく違う。

市場を見ている人と、自分の損益を見ている人は、同じ画面を見ながら別の世界にいる。

私は価格を見るが、資産残高はあまり見ない

私は可能な限り、保有している資産の価格を確認している。

価格を見るだけなら、一瞬で終わる。

大きな変化が起きていないか、想定していた価格帯から外れていないか、市場に異常な動きが出ていないか。その程度を簡単に確認するだけであり、一覧画面をいつまでも眺めて一喜一憂することはない。

必要があれば、そこからチャートや関連市場を確認する。

本当に必要な市場分析は、現在価格を見るだけでは終わらないからである。

市場全体の動き、資金の流れ、株式、金利、為替、暗号資産など関連市場との関係、ボラティリティの変化、保有資産に与えていた役割が崩れていないか、投資時に想定していた構造に変化がないか。

これらを確認するために、日々の簡易的な価格確認とは別に、市場全体を考える時間を取っている。

一方で、今日いくら資産が増えたか、昨日よりいくら減ったか、現在の総資産が正確にいくらになっているかといったことには、ほとんど関心がない。

資産残高は、価格変動によって毎日変わる。

しかし、その数字を毎日確認したところで、投資対象の価値や市場構造を理解できるわけではない。

むしろ、資産残高の増減ばかりを見ていると、価格変動を情報ではなく、自分への報酬や損失として受け取るようになる。

上がれば自分が正しかったと感じ、下がれば自分が否定されたように感じる。

それは市場分析ではなく、感情の確認である。

価格は市場からの情報である。資産残高は感情を映す鏡になりやすい。

見るべきではないのは、価格やチャートそのものではない。

自分の資産額を何度も確認し、そこから生まれる恐怖や欲望に支配されることである。

日経225先物やオプションでは、「見ない」は通用しない

ほとんどの人にはなじみがないと思うが、一つの例として挙げる。

個別株やインデックスファンドとは異なり、先物やオプションの世界では、日経平均株価が上がったか下がったかだけを見ていても、ポジションの状態は理解できない。

確認するのは、指数の方向だけではない。

オプションプレミアム、インプライド・ボラティリティ、デルタやガンマなどの感応度、満期までの残存期間、必要証拠金、ポジション全体の損益構造、保有枚数やポジションを移動させる必要性など、複数の要素を見る必要がある。

相場が大きく動けば、組み合わせているポジションの性質も変化する。

最初は中立だったポジションが、いつの間にか一方向への大きなリスクを抱えていることもある。その場合には、ポジションを移動させたり、枚数を調整したり、リスクを縮小したりしなければならない。

この世界では、気絶投資は御法度である。

「長期だから見ない」「見ると不安になるから画面を閉じる」という行動は、危険が迫っている場所で、自ら目を閉じることに等しい。

見えなくなれば、恐怖を感じずに済むかもしれない。しかし、危険そのものが消えるわけではなく、状況を確認せずに放置すれば、気づかないうちに損失が拡大する可能性がある。

だからこそ、先物やオプションを扱う側には、厳しい資金管理と自己規律が求められる。

もっとも、この分野に取り組む人であれば、本来は当然に行っているはずの管理でもある。

このように、現物のインデックス積立に向けられた助言を、先物、オプション、信用取引、レバレッジを使った暗号資産取引、個別株など、性質の異なる運用方法にそのまま当てはめることはできない。

同じ暗号資産であっても、現物を長期保有する場合と、証拠金を使って短期売買する場合では、必要な管理はまったく違う。

投資対象だけでなく、運用方法が違えば、必要な観測も違うのである。

市場観測は、売買するためだけにあるのではない

私にとって、市場を確認しないことは、鍵をかけずに家を出るようなものである。

鍵をかけたからといって、絶対に安全になるわけではない。市場を観測していても、損失を完全に防ぐことはできない。

しかし、観測しているからこそ、想定していた前提が崩れたことや、資金の流れが変化したこと、リスクが特定の場所に集中していることに気づける。

ここで重要なのは、変化に気づくたびに売買することではない。

観測した結果、何も変わっていないと判断すれば、何もしない。

長期保有を続けながら市場を観測することもできるし、価格を毎日確認しながら一度も売買しないこともできる。

反対に、日々の価格を見ていなくても、久しぶりに口座を開いて評価損益を確認した瞬間に、不安になって売却する人もいる。

見る頻度が、その人の投資能力を決めるわけではない。

重要なのは、何を見て、何を判断しているかである。

自分の損得を見ているのか。

市場の変化を見ているのか。

この違いが、感情的な売買と、能動的な資産管理を分ける。

「価格を見るな」という言葉は、本来、狼狽売買を防ぐための限定的な助言だったはずである。

しかし、それが無条件に広まることで、市場を理解しなくても、ただ放置していればよいという解釈まで正当化されるようになった。

投資家が考えることをやめても、市場は止まらない。

市場環境も、企業の状況も、制度も、資金の流れも変化する。

保有し続けるという判断にも、本来は観測と検証が必要なのである。

見るべきは、価格の向こう側にある

私は日々の価格を確認し、必要に応じてチャートや関連市場も見る。

しかし、自分の資産が今日いくら増えたかは気にしない。

価格は、市場から送られてくる情報の一つである。

その情報を受け取り、意味を考え、必要であれば行動する。何も変わっていないと判断すれば、何もしない。

価格を見ることと、価格に支配されることは違う。

画面を閉じることが自己規律なのではない。価格やチャートを見ても、感情で動かないことが自己規律である。

不安になるのは、価格を見ているからではない。

その数字を通して、自分の資産残高ばかり見ているからである。

見るべきなのは、市場で何が起きているかである。

見ない方がいいのは、価格に映った自分の恐怖と欲望である。

市場を観測する人は、価格の向こう側を見る。

資産残高だけを見る人は、自分の感情しか見えていない。

投資家に必要なのは、市場から目をそらすことではない。

市場を見ながらも、感情に操られないことである。

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